無伴奏チェロ組曲 第一番 プレリュード




チェロ。それを弾いている姿が一番彼女の中でさまになっている。
例えば、弾いている時。優しく抱きかかえるように。
例えば、激しく弾きならすその姿。まるで恋人を求めているときのように。
例えば、弾き終わる時の弓を弦から離すとき。優しくそっと、恋人を労るように。

盛大な歓声に包まれて、彼女は恋人を支えて恭しくお辞儀をした。




「終わったわよ、ルッチ」
片手には先ほどまで弾いていたチェロを閉まったケースを担ぎ、片手にはまるでセピア色の映画に出てくるような旅行者が持っていそうな使い古した小さな四角の旅行鞄。
その旅行鞄は旅行鞄としての機能ではなくて、彼女がチェロを弾いた時のおひねりをいれる為の入れ物として役立っている。そして、さきほどのパフォーマンスを見学していたルッチには、その鞄の中身が小銭で一杯だという事を知っている。
『間違えたな』
腕を組んで壁にもたれたまま、ルッチは偉そうに言う。いつもそうだ、この男は。の演奏がどれだけ素晴らしくても、褒めようとはしない。一音間違えてもこれ、間違えなくてもテンポが、次はこころが、と何度だって難癖をつける。
「完璧主義者の嫌味」
は自分よりも十何センチも高いルッチを見上げて、皮肉を込めて言った。けれどルッチは動じない。
『事実だっポー』
「いつになったらルッチが満足する演奏ができるのかしらねぇ・・・」
ため息まじりにがぼんやりと言う。
『ポッポー、お前がそれを弾いている間は無理だな』
「・・・なにそれ、一生無理ってこと?」
『恋人よりも優しく抱きしめて弾いているそれを、褒められるはずが無いだろうが』
真顔で(ハットリも真顔だ)、そして真正面からそんな事を言われて、の頭の中は一瞬だけ真っ白になった。まさか、ルッチがそんな些細な、幼稚な嫉妬を抱いてるとは思ってもいなかったのだ。(おまけにいつも言わないようなそんな甘いことば!)
その上真っ白になっている間に、唇を押し付けられて、いつの間にか舌を絡めとられる。嫌だ、とルッチの胸を押し返すと彼は簡単に離れた。どうやら最初から抵抗などする気もなかったらしい。
『俺のキスは高いぞ』
を見下ろして、まだ頭が真っ白で、対照的に顔は真っ赤になっている彼女の手からチェロをひょいと取り上げて、彼は先にすたすたと歩いていってしまった。
コンパスの長さの所為か、がはっと我にかえった時にはもうルッチはずっと前にいた。気のせいか、足取りが軽そうに思える。・・・ほんとに気のせいだ。
「ちょっと待ちなさい、ルッチ、こら!チェロ返せ!ていうか往来でキスするんじゃない!」




j e a l o u s y


なによりも傍にいるそれが憎い。



(07.01.11)