たまに、だけれども。

朝起きた時に、夢の中に忘れ物をしたようなそんな気分がする。ロマンチックなものではなくて、ほんとうにそんな気がしてしまう。掴めばするりするりと指の間から落ちてしまうような。
そんな忘れ物をしたような気がする、のは。気のせいだろうか。


するりするりと、ゆびのあいだから。







調 T








今日は珍しく、頭がはっきりしなかった。低血圧なのは元からだったけれども、いつもは支度をしている間に頭はすっきりとするはずだった。それが今日に限ってちっともよくならない。おかげで、長い髪を結う事すら億劫になってしまった。けれど、それでも仕事を休むわけにはいかない。大切な仕事であるし、何より彼らが好きなのだ。


「――――?」
「・・・え?あ、ごめんなさい、何?」
ぼうっとしすぎていたのか、はカリファに呼ばれていた事にすら気付かなかった。のその様子があまりに珍しくて、カリファもジャブラもブルーノもフクロウも、皆一様に驚いている。いつもはテキパキとしていて、少しつかみ所が無くて、一生懸命走り回って給仕の仕事をこなしているが。
「大丈夫かい?」
「なぜ?ブルーノ」
気の抜けた柔らかい笑みで、は聞き返す。きちんと聞き返しはするけれど、目元は下に向けられ、手元はまるで人形が作業をするかの様にきちんとされていた。いつものように食後のコーヒーを煎れる姿は、普段と寸分変わりない。
「いや、大丈夫ならいい。悪かったね」
「あら、そう?おかしなブルーノ」
少しだけ微笑んで、は煎れ終えたコーヒーを全員の手元へと運んでいく。
「そういえば、今日は髪を結っていないのね」
「チャパパー、うっとうしくないか?」
フクロウの言葉に、は肯定とも否定とも取れるように笑った。
のコーヒーを飲むと今日も素晴らしい煎れ具合だった。それはカリファもブルーノもフクロウも、もちろんジャブラも思っている事だった。
「食べ終わったら、そのままにしておいてくださいね」
それだけを言って、はいつもの様にカートをひいて出て行った。パタン、と扉が閉じる音と、ずずず、と誰かが飲むコーヒーの音がいやに響いた。
「・・・の奴変じゃねェか?」
「奇遇ね、私もそう思ったわ」
「チャパパー、俺もだ」
ブルーノは、とジャブラもカリファもフクロウも彼を見やった。飲んでいたコーヒーカップをソーサーに戻して、冷静に言う。
「あれは、どう見たって熱があるだろう」

さて給仕が向かった部屋はどこだっただろうか?








目の前の大きな扉を軽くノックをする。返事が無くてもいい。むしろ返事があったらなにが起こったのかと思う。部屋に入る前に大きく深呼吸をして、どうかルッチさんの目覚めがいいように、と祈る。
部屋に入るとポッポー、とハットリが鳴く。いつものように重苦しい、見るからに重厚なカーテンを開け放って、窓を開ける。少しだけ冷たい空気が少しだけの頬を撫でる。冷たいけれど、少し気持ちのいい風だった。
「おはよう、ハットリ。最近寒いねえ」
柔らかく言ってケージの扉を開けてやれば、ハットリは少し首を傾げながら少しずつ出てきた。そのちょんちょん、と跳ぶ姿はとても主人とは似ても似つかぬ愛らしい姿で、ペットが主人に似るっていうのは嘘だな、とひそかに思って笑った。
ハットリが出て行ったのを見送って、さて、あの気の重くなるような、けれど少し楽しい仕事の一環をしなくては、とが思ったその時。
「閉めろ、寒い」
後ろから少し苛ついたような低い声。
「はいはい、わかりました・・・え?ルッチさん?」
驚いて確認するように振り向くと、確かにそこにはルッチがいた。きっちりとローブを着込んで、寝起きだなんてわからないほど完璧。ただ、髪は少し寝癖らしきものがある。(には他と同化しているように見えるけれど)
「なんだ」
不機嫌そうに眉を顰めてルッチは問うた。は開けていた窓を閉めて、ルッチの元へと歩み寄る。
「どうしたの、ルッチさん。あんなに起こしても起こしても起こしても、必ず30分くらいはかかるルッチさんが、どうして」
「悪かったな」
「事実です」
はやく、そしてきっぱりと切り返すとルッチがまた何本かの皺を眉間に寄せた。不機嫌そうな彼は、周りが思っているほど悪い人じゃない。むしろ、こんなにあからさまに表情を見せる彼が、は嫌いじゃなかった。
「・・・お前が窓を開けたからだ。ただでさえ最近寒いんだぞ」
「いえ、今日はまだ暑いですよ」
今日は朝から日差しが暖かくて、なんだか暑かった。目覚めは最悪で、頭もはっきりしなかったが、暑かったのは覚えている。それを言うと、ルッチがまた恐い顔をした。別に本人は怖いだなんて、思ってないんだろうな、とは内心苦笑しながら。けれどがそう気付いたのはごく最近で、それまでは色々と含めて、ずっとルッチが苦手だった。
「・・・・・・暑い?」
「?はい」
それが?とでも言いたげには首を傾げて聞き返す。
ひやり、と急に額が冷たくなって、大きな手の存在が確認できた。
「熱があるな」
そう言ったルッチにしては、あまりに優しい言葉では心底驚いた。まさか、そんな優しい人を労るような言葉が、ルッチから出てくるなんて、は思った事もなかった。
?」
「え、あ、はい、熱ですか、熱、風邪かな?」
「今日はもう休め。寝ろ」
「・・・ほんとに熱あるかな、ルッチさんが優しい」
失言。しまった、と思った時にはもう遅い。既にルッチはなにもかも射殺してしまいそうな目線でを見ていた。ルッチの無言のプレッシャーはにとって恐ろしいものでしかない。
「部屋に戻らさせていただきます」
「そうしろ」
テーブルの上にカートに乗せてきた朝食を乗せていく。コーヒーはいつもと違ってまだ暖かいままで、食欲をそそるような朝食もまだできたての美味しさを保っている。
の動きは熱があるとは思えないほど完璧だった。
「それじゃあ、食べ終わったらそのままにしておいてください。お昼には取りに戻ります」
返事はせずに、ルッチは黙々と食べる。優雅に、美しく。
「失礼します」
その言葉とともに、人が倒れた音がした。いつも通りの小さな扉の音がすると思っていたルッチには、意外な音で、思わず顔をあげて見遣った。
そこには、さっきまで完璧に仕事をこなしていた給仕。
「・・・バカヤロウ、」

倒れるなら、他で倒れろ。











(06.11.12)