ベッドに横たわっていた人物は、予想をしていた人物とは違っていた。彼よりも小さく、少しめくれた布団からは小さな白い足が覗いていた。
「女かのう・・・」
カクはそうやってぼそりと呟く。ルッチに用があるが、その女には用はない。仕方ないのう、と胸の内でため息をついて、もう用が無くなったその部屋から出ようとドアノブに手をかけたその時。
「ルッチさん?」
少し掠れているが聞き慣れた、その声。聞き間違えるはずがない、その声。
間違いなく、ベッドから聞こえた声に、カクはぐらり、と目眩がしそうになった。まさかルッチとが?そもそもルッチが給仕に手を出すなんて!(女癖は悪くとも、仕事に差し支えるような事はしない男だと思っていた。そう信じていた。)
。今最も会いたくない女。
指を向けた事を後悔していたのだ。どれほど嫌いだからって、指銃を向ける相手ではなかった。嫌いな、苦手な相手ではあったが、憎むべき、殺すべき相手ではなかった。むしろ、『正義』に守られねばならない相手だった。
それを、自分の、たった少しの間の感情で。
「・・・生憎じゃのう」
振り向いた時には、は起き上がろうとしていたところだった。ゆらりと、彼女の黒髪が揺れる。いつもの三つ編みと違って解かれている状態の髪は緩くウェーブがかかっていて、柔らかそうだった。それが一段と、彼女を弱く見せる。
「カク、さん」
響いた言葉も、いつもより弱々しく聞こえた。白いシーツに髪との服が映える。とってつけたような敬称呼ばわりに、カクはわけも解らず少し苛立つ。
「ルッチじゃなくて悪かったのう」
出てくるのはそんな嫌みを込めた言葉。
スパンダムのように仕事ができずにのろまだから嫌い、というわけではない。生理的に受け付けない、というほど嫌いではない。
なのに、口をついて出る言葉は嫌みばかり。
「ルッチさんは、いま多分、広間に・・・」
その言葉と共に、が急に後ろのベッドへと吸い込まれるようにして倒れた。ばふっ、という音がしたけれど、それきりが起き上がる気配はなかった。
カクには彼女を放っておくという選択肢もあった。はずだけれども、なぜかカクの足はベッドの方に向かう。ベッドで荒い呼吸をしては倒れていた。布団を治す気力もないのか、掛け布団がめくれ上がっていた。
「あほじゃの・・・」
どちらが、と自問しても答えは出てこない。
なげやりにをきちんとベッドに戻してやり、自分ができる限りに優しく(けれど手慣れていないから少し粗野だった)布団をかけてやった。
「何をしている」
突然の自分と以外の気配。この部屋の主である、ルッチ。いきなりの声の所為で、柄にも無く手先がびくりと震える。それはを起こすほどではなかったけれど、カク自身を驚かせるには充分だった。布団にかけていた手を離して、自分を落ち着かせる。
「・・・なんじゃ、ルッチか」
「何をしている」
ルッチは銀色のトレイに乗せた水差しとタオルをテーブルの上に置いて、もう一度同じ事を聞いた。その事にカクは少し苛つく。同じ事を聞かなくてもいいのに。
「何って、お前さんを捜しにきたんじゃよ。今度の任務の打ち合わせじゃ」
「それなら後に回せ」
目線すらカクを見ないで、ルッチは言う。しなやかな美しい手は水差しを持って、平たい桶に水を注いでいく。カランカランと水差しの中に入っていた氷が桶の底に当たる。
窓から入ってくる光によって、水面が煌めき、壁に揺らめく。
「なぜじゃ。だいたいなんでそこに、その給仕が居る?まさか一晩を共にしたわけじゃないじゃろ?」
「そうだとしても、お前にはなんの関係もない」
意地悪な、そして嫌な問いにルッチは桶にタオルを浸しながら動揺もせずに答える。
その答えは、カクにとっておもしろくない。このすました男の動揺する顔が見たかったのだ。それは無理でも、少しでも心を揺らめかせればよかった。けれどそれは叶わない。
女の小さな寝息が耳に障る。
「出ていってくれ、カク」
ぎゅっ、とタオルを絞りながら言う。その絞ったタオルを、几帳面に綺麗に長方形に折り畳み始める。珍しいルッチの言い方に、カクは目を丸くして、口元を笑いの形へと変える。ぬるい、毒のような。
「なんじゃ、お前さんからそんな殊勝な言葉、今まで一度も聞いた事が無いぞ」
「お前は、こいつには毒だ」
そう言ったルッチはすでにの傍にいて、そしての額にそのタオルをのせてやっていた。
なぜか、カクの胸がちくりと痛んだ。目の前に、黒い光がやってくる。
「言われんでも、出て行くわ」
いつもより乱暴に扉を閉めて、カクは出て行った。
それと同時に、ノラが瞳を開ける。いつも快活に見えるその目が今日は、少し憂鬱に淀んでいるように見えた。いや、今日だけじゃなかった。ごく最近、よくの目は憂鬱な色をさしていた。
「ルッチさん」
か細く、いつも起こしにくる時とは正反対の声色で。
今までのやりとりだって、は狸寝入りで聞いていた。最初は起きていたならこのまま部屋に戻らそうと思ったが、カクの気配でそれは止めた。あえて黙認した。も、それは気付いていたかもしれない。
「ごめんなさい、ルッチさん・・・。ベッドも、それに、」
「言わなくていい」
「・・・わたし、嫌な事があった時に見る、怖い夢があるんです」
ぽつり、とが紡ぎ出した。
「暗闇の中で何かが全て、私の掌から、溢れていくんです。何かを掴んだと思ったら、するりと逃げていくんです。そうしてわたしは、一人になるんです。起きた時に、なにか大事な者を忘れたような気がして、私は怖くなるんです」
すべてこの手にとどめておきたいのに。
そう言いたげな女の目からは涙があふれそうになっている。その目で見られたくなくて、その目を見たくなくて、彼女の両の瞳を、片手で隠す。
「お前は今混乱している。深呼吸をしろ、俺がここにいる。少し眠れ」
「・・・・・・ありがとう、ルッチさん」
何分も経たないうちに、彼女は眠りに落ちた。
どうかしている。ベッドを貸す事を享受している自分も、弱いも、自分の事をわかっていないカクも。
給仕の不調 U
(06.12.31)